1694年10月12日大阪市南御堂花屋で亡くなった芭蕉翁は、芭蕉翁の遺言により大津義仲寺に葬られましたが、その訃報を受けた伊賀の門弟たちが駆けつけ遺髪を持ち帰り、碑を建て称えたのが、愛染院内の故郷塚です。
愛染院の本堂の左手の小門をくぐった奥突き当たりにある茅葺き屋根の故郷塚。
その小堂の中に高さ90センチほどの自然石に読みにくくなっていますが、門人・服部嵐雪の筆で、中央に「芭蕉翁桃青法師」・右に「元禄七甲戌年」・左に「十月十二日」と彫られています。
翁の没後は、伊賀の門人たちにより「しぐれ忌」を催し追善されてきました。現在は、毎年10月12日に「芭蕉祭」が上野公園俳聖殿前で行われ、故郷塚でも墓前法要が営まれています。俳聖殿に関する記事は俳人「芭蕉」の姿を建物に再現!?~俳聖殿~
寺内には、多くの句碑がありますが、なかでも「家はみな杖にしら髪の墓参り」が有名で、翁が兄の招きによって帰郷した折、みな老いていたことへの感慨を述べたものとされています。この碑を書かれたのは「芭蕉翁一代風土記」の著作者 飯野哲二さん。
「芭蕉翁一代風土記」のエピソードを調査している方のブログはこちら「伊賀の旅人案内人」。芭蕉翁と寿貞、飯野哲二先生と若生小夜さん、江戸と昭和の不思議な縁をつづっています。
愛染院内で見逃せないのは、「瓢竹庵」。
芭蕉五庵の一つで、昭和5年に再建されたもの。
4.5畳の茶室と2畳の仏間があり、芭蕉翁の木造が祀られていて見逃せん。ただし、この庵を見せていただけるのは、愛染院の上人さまのお見えになるときのみになります。なんでも金・土・日曜日のみだとか。
ラッキーなことに私たちが訪れた日には、上人さんがご在宅だったので、ご丁寧に案内して頂きました。私の準備不足ということもあり、ご案内していただいたことをうまく紹介できず残念ですが、上人さんのお人柄がよくおもてなしの心がありがたかったです。
その故郷塚は、芭蕉翁生家から徒歩3分ほどのところにあり、尾崎紅葉や川端康成をはじめとし、多くの文人たちや俳句を愛する人たちの参詣が絶えることがない故郷塚。
文学に精通していなくても、ぜひ芭蕉翁の心に触れに訪れてみてはいかがでしょうか。
愛染院
伊賀市農人町354(愛染院内)
拝観料:200円
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